この作品は、昔作った「自在大雀蜂」を元にし、30匹のスズメバチから構成された作品で、全てのスズメハチが「自在大雀蜂」同様に、脚や胴、触角などの各関節、顎、翅、針にいたるまで可動する。
また「自在大雀蜂」と違い、あくまで死骸の模刻として制作したため、立ったときの姿勢ではなく死骸としての姿勢を取るようにポージングしてある。
元々同じ作品を多数制作することが苦手な自分がこの作品を制作することにしたきっかけは二つある。一つは昆虫と言うモチーフが持つ魅力の一つに「集団」と言う要素がある種類が存在すること。蜂というモチーフはその代表的な昆虫で、一般的にその「集団」というイメージが強く、作者自体もそのイメージを持っていて魅力として認識していること。
第二に、昆虫というモチーフを長年制作するに当たり、自分の中にある「生を作っているのか」「死を作っているのか」と言う長年の疑問。
作家が何かをモチーフに制作するのに、そのモチーフを観察すると言う行動は、その時間の長短はあるにしろ必ずと言ってよいほどあるはずである。そのモチーフが生き物であり、また長い時間の観察が必要な場合、作者が写真ではなく実物を手元に観察し制作したいと思うのは当然のことだと思う。そして昆虫というモチーフはそれがとても手軽である。
昆虫を生きたまま手元で観察することも比較的容易であるが、なにより甲殻類は外骨格のおかげで死んでも大して様子が変わらない。(大して、と書いたのは当然違いはあり、筋肉や間接の収縮による変化や乾燥による体重の減少、何より生きているか死んでいるかの違いは当然の変化をもたらす)そして、当作者も制作時に死んだ昆虫をモチーフに制作することが多い。
よく、作品を見た方に「生きているようだ」「本物みたい」と言う感想をいただく、また「命を吹き込む」と言う評価をいただくことも多々あり、そこに自分としての疑問が生まれる。
自分は死骸を観察し、生きているように作っているのか?死骸を模刻し死んだように作っているのか。
近年の作品は生と死を区分し、その疑問をはっきりさせるために色々な実験を試みた。その中でこの作品は死骸を模刻し「死」を制作した第一号の作品である。
制作に当たっては「自在大雀蜂」を30匹分ということになるが、総パーツ2490 内、符節と爪が900個という途方も無い数であった。